2025/05/16 08:10



私たちは日々、多くの情報や評価のなかで生きています。

その中でふと、「自分が本当に好きなものってなんだっけ?」とわからなくなることはないでしょうか。

落語『粗忽長屋』は、他人の言葉に流され、

“自分の死体”を探しにいくという、奇妙で滑稽な噺です。

しかし、その根底には、自分を見失っていく人間の姿が、どこか風刺的に描かれているようにも感じられます。


現代の私たちもまた、ブランドや他人の評価に影響され、「自分が本当に好きなもの」がわからなくなっていることがあります。


そんなとき、アートやオブジェに触れることは、

自分の感覚を取り戻す小さなスイッチになるかもしれません。


意味よりも先に「なんとなく惹かれる」

理由はないけれど、美しいと感じる――

その“感じ”こそが、他でもない、自分自身の声なのかもしれません。