2025/06/05 22:36

戦後日本の教育を色濃く受けてきた私は、何かを見たり感じたりすると、つい「自分はそれをどう理解したのか」「どこで、どう感じたのか」を“正しいのか"と考えてしまいます。
また「どうすればうまく人に伝えられるか」と意識することも少なくありません。
まるで「後でテストに出る」かのように、感情や体験を無意識に評価し、分類しようとしてしまうのです。
けれど、感動というものは、本来理屈を超えた“瞬間的な心の動き”です。
それを毎回、分析的に捉えようとすると、感じる前に「理解しよう」としてしまったり、分析を通して感情のパターンを学習しすぎて、まだ起きてもいない感情を予測してしまったりします。
そうした習慣は、感動の鮮度や深さを少しずつ削いでいくのではないかと思います。
感動を言葉にすることも大切ですが、それ以前に、ただ「感じたまま」を受け取ることの豊かさを、もっと大事にしてもいいのかもしれません。
(記事を書いている自分に矛盾している部分もありますが、、)